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お化け煙突で知られる旧千住火力発電所跡を訪ねる

お化け煙突はモニュメントとなり伝説を伝えていた

~足立区北千住・荒川沿い~

取材・構成/「週刊電業特報」編集部(砂耳タカシ)

 その昔、といっても昭和初期から、前回の東京オリンピックがあった1964(昭和39)年まで、東京名物のひとつに数えられた発電所の《煙突》があったのを、知っていますか?

 発電所の正式名称は千住火力発電所(足立区)。煙突は《お化け煙突》と呼ばれていました。

 それにしてもなぜ、このような名前がついたのでしょうか?

 ちなみに、お化け煙突の正体は、千住火力発電所の4本の煙突でした。

写真1

円形のモニュメントの上半分(黒っぽい部分)は本物の煙突の一部を使用。右側の4本のポールはお化け煙突のミニチュア

写真2

 千住火力発電所(足立区千住桜木1丁目)は、1926(昭和1)年に建設され、1964(昭和39)年まで稼働していた火力発電所です。

 浅草火力発電所(東京電力の前身・東京電燈が明治20年に建設)が関東大震災(1923年)で倒壊したため、その代替発電所として建てられたのです。

 1964年に廃止された千住火力発電所の跡地は、現在、東京電力パワーグリッド(TEPCO)上野支社足立事務所と、帝京科学大学のキャンパスになっています。

 この千住桜木町というところ、荒川と隅田川に挟まれた位置にあり、千住火力発電所の敷地の東側は墨堤通り、西側は隅田川に面しています。

 千住火力発電所は、この隅田川沿いに立地して、4本の煙突から煙をもくもく吐いていたのでした。

写真3

尾竹橋から見た旧千住火力発電所跡付近。正面右の塔はTEPCOの通信鉄塔

写真4

この土手の右側が千住火力発電所跡

 ところでなぜ、お化け煙突という愛称ができたのかといえば、見る場所によって本来4本の煙突が1本に見えたり2本に見えたり、あるいは3本に見えたりしたためだとされています。

 足立区の公式サイトによれば、それは4本の煙突が「上から見ると、菱形に配置されていたため」で、「1本に見えるのは千住の旧区役所(現あだち産業芸術プラザ)方向と本木1丁目27番南側の荒川左岸(北側)の2方向」だったといいます。

写真5

これが隅田川に架かる尾竹橋。足立区と荒川区の境界線にもなっている

 お化け煙突の千住火力発電所があった千住桜木地区は、先ほども書いたように、荒川と隅田川が並行して流れる「狭間」のような場所に位置しています。

 お化け煙突(4本)が1本に見えたという「荒川左岸の足立区本木1丁目」は、尾竹橋(写真5)から尾竹橋通を北側に行った位置にあります。

 そして千住桜木地区は、荒川と隅田川が最接近する場所に近く、昭和初期には高い建物がなかったため、荒川左岸から眺める隅田川右岸のお化け煙突は斜め左上(西北)から見る形になり、菱形に配置されていた4本の煙突が「1本に見えたのではないか」というわけです。地図を使ってシミュレーションしてみると、なるほどその理屈がわかってきました。

 現代人からみれば「他愛ない都市伝説の裏話」のように思われるかもしれません。でも、煙突が何本にみえるかということが、大人にも子どもにも大きな話題を呼んだ時代があったというのは、なんだか、いいですね。

とても愛おしいような気分を、催させてくれます。

写真6

帝京科学大学の近くの土手沿いにあった東電の資材置き場。あちこちの発電所や変電所の名前が書かれた機材がごろごろしてる

写真7

帝京科学大学のキャンパス越しにみる東電の通信鉄塔

 お化け煙突は高さが約80mだったそうです。現代の街なかで見られる煙突の代表はごみ処理場のものですが、環境保全のため100m以上の高さをもつものが多いようです。

 それに比べれば80mは決して巨大とはいえませんが、当時は高層ビルが皆無の時代。80mの高さがある構造物はやはり巨大で、相当遠くからでも見えたに違いありません。

 このお化け煙突の「在りし日」の姿は、豊富に残された写真でみることができます。それだけじゃなく、実物(名残)に少しだけ触れてみることもできます。

 それは跡地に建設された帝京科学大学のキャンパスの前、ちょうど隅田川に面した場所にあります(写真1&写真2)。

 これは4本のポールを組み合わせた「お化け煙突のミニチュア」で、4本のポールの並びは、足立区の公式サイトの説明にあった煙突の配置を忠実に再現したもののようです。

 そして4本のポールの前に置かれた巨大な輪っかは、お化け煙突の実物を輪切りにして造ったモニュメントだといいます。

 火力発電所がまだ「迷惑施設」でなかった時代の東京に生まれ、高度経済成長期にその生命を閉じた、まさに「火力発電所の幸福な時代」を伝える現代遺跡の一つといえるでしょう。

 ※このモニュメントだけでなく、お化け煙突の輪切りは足立区立元宿小学校に一部が寄贈され、滑り台になっていたという情報を、この取材の後に入手しました。しかし、残念。元宿小学校は統廃合され、今は別の場所に移っているとのこと。お化け煙突の輪切りの滑り台はどうなったのでしょうか。

 こんど改めて訪ねてみたいと思います。

写真8

写真9

元宿堰稲荷神社の境内にそっと立つ、お化け煙突守護社の証

 さて、ここまで来たら、土手を降りて、帝京科学大学の裏側方面にある元宿堰(もとじゅくぜき)稲荷神社に行きたいものです。

 この神社は江戸時代の後半に創建された神社ですが、境内になんと「旧千住四本煙突守護社」と書かれた、小さな木柱が立っています(写真9)。

 なぜ、この小さな神社が? と思って、ネットを調べてみたら、どうやら地域の神社として、千住火力発電所が建設される際にこの神社が神事を執り行い、以後、守護社になったらしいという記述がみつかりました。なるほど納得です。  

 そして「旧千住四本煙突」とあるからには、千住火力発電所が取り壊された後に、後世に神社の事績を伝えるモニュメントとして、この木柱を立てたのでしょう。

写真10

写真11

いつでも夢を描くことのできた時代が、かつての日本にもあったのです

 もうひとつ、この神社には興味深い木柱が立っていました。

 木柱には《「いつでも夢を」ストーリーのまち》とあります。

「いつでも夢を」ということになると、やはりその昔、橋幸夫と吉永小百合がデュエットして大ヒットした歌謡曲が思い浮かびます(年齢がバレバレですが・笑)。

 そして調べてみると確かに、1963(昭和38)年1月に公開された日活青春映画『いつでも夢を』のことに違いないと思われます。

 この映画は高度経済成長時代の前半期に盛んに作られた「町工場モノ」の映画の一つで、資料には「東京下町が舞台、町工場で働く夜間高校の生徒たちの青春物語」とあります。

 実際にこの映画をみてみないと詳細は分かりません。しかし、恐らく、お化け煙突のあるこのエリアを、ストーリーの背景に使ったか、ロケ地として使ったかしたということなのでしょう。

 しかも、1963(昭和38)年1月に公開というのが、興味を惹かれます。冒頭に書いたように、お化け煙突のあった千住火力発電所が稼働していたのは1964年までです。

 お化け煙突からもくもくと黒煙が空に立ち上っていく情景は、ロケをしたと思われる1962年には健在だったはずです。

 となれば、その頃はすでに、お化け煙突が数年以内に取り壊される予定も、ニュースとして流れていたことでしょう。

ストーリーの背景にするだけじゃなく、お化け煙突を映画に取り込まない手はないと思われます。

 これについても近いうちに、レンタルビデオで当たってみたいと思います。

 前述の旧元宿小学校の校庭にあった、お化け煙突を使って作った滑り台の行方とともに、いずれご報告いたします。

 それでは、また!!

 ※付記――ちなに千住発電所という名称の火力発電所は、歴史上2つあったそうです。一つはお化け煙突の千住火力発電所ですが、もう一つは1905(明治38)年に東京電燈(現東京電力)が、路面電車の需要増などに対応するため、現在の南千住(荒川区)に建設した発電所も、千住発電所といったそうです。

 そしてその跡地は現在、千住第2中学校などになっているとか。こっちの千住発電所跡も、ぜひいつか、訪ねてみたいですね。