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建築物

GO! GO! エレクトリシャン 小トリップ・シリーズ No.2

東京タワー誕生まで日本一の高さを誇ったラジオ放送鉄塔

日本の放送史に燦然と輝くNHK川口放送所跡地を訪ねる!!

~埼玉県川口市with久喜市~

取材・構成/「週刊電業特報」編集部(砂耳タカシ)

 今回訪ねたのは旧《NHK川口放送所》跡地です。ここには現在、NHKアーカイブスや川口市立科学館などからなる大型公共施設「スキップシティ」(川口市上青木3丁目)が建っています。

 1958(昭和33)年に、高度経済成長時代のシンボルともいうべき、世界一の高さを誇るテレビ・ラジオ放送塔「東京タワー(333m)」が誕生するまで、この場所には日本一の高さを誇るラジオ用の放送鉄塔が建っていました。

 正式名称は《NHK川口第一放送所(1937年~1984年)》。このサイトでは通称のNHK川口放送所と書かせてもらいます。そして第一放送所があれば当然、第二放送所もあったわけで、それは同じ川口市内の鳩ケ谷(鳩ケ谷第二放送所/1939年~1983年/竣工当時は鳩ケ谷町に立地/跡地は現県立鳩ケ谷高校)に建っていました。

 さてNHK川口放送所のメイン施設は、戦前戦後、関東一円にラジオ放送用の電波を送信していた放送鉄塔です。その高さは312m、しかも北塔と南塔の2基が並んでいたそうです。

 ちなみに東京タワーができるまで、鉄塔としては世界一の高さを誇ったパリのエッフェル塔は324m。ペンシルのように細い鉄塔とはいえ、東京タワーやエッフェル塔よりもちょっとだけ低い鉄塔が、しかも周囲に建物がほとんどない野原のような場所にツインで立っている光景なんて、さぞかし見モノだったことでしょうね!!

NHKアーカイブスや川口市立科学館などが集積するスキップシティ

 旧《NHK川口放送所》跡地の存在を知ったのは、5~6年ほど前のことでした。たまたま所用があって埼玉県久喜市に出かけたとき、知り合いと雑談中、不意に「久喜には《NHK菖蒲久喜ラジオ放送所》という日本最大級の放送施設があり、そこに高さ245mもある鉄塔が建っているのを知っていますか?」と聞かれたのです。

 NHK菖蒲久喜ラジオ放送所は無人の施設ですが、敷地面積は約33万㎡。放送設備としては日本一の規模を誇り、NHKラジオ第1放送と第2放送用の電波がここから関東一円に送信されているだけでなく、地上波テレビの中継局、NHKBS放送やWOWWOWなど衛星放送の中継局の役割も果たしているのだとか。ラジオ放送だけに限っても、東北地方や中部地方の一部を含む2000万世帯(全国世帯数の40%)をカバーしているといいます。

「へぇ、それは凄い!!」さっそく教えられた場所に、道に迷い迷いしながらも、なんとかたどり着きました。

 すると確かに、ペンシルのように細いけれども、背のやたらと高い鉄塔が、まるで『ジャックと豆の木』の豆の木みたいに、ぐんぐん空に伸びている様子をみることができました。曇り空を背景にしているせいか余計に、鉄塔の先端が空に溶け込んでいるかのようにおもわれたのかもしれません。

NHK菖蒲久喜ラジオ放送所に建つ高さ245mの放送鉄塔

 帰宅後、NHK菖蒲久喜ラジオ放送所(1982年に川口第一放送所の機能が移転、1983年に鳩ケ谷第二放送所の機能が移転)のことを、ネットでさっそく調べました。すると出てくるわ、出てくるわ!!  NHK菖蒲久喜ラジオ放送所のことはもちろんですが、その「前史」にまつわる話などが、公的なものから私的なものに至るまでたくさん紹介されていたのです。

 菖蒲久喜ラジオ放送所への関心の高さもさることながら、その前身である《NHK川口放送所》はとりわけ、濃度と純度の高い「マニア物件」のようでした。

 そして知ったのです。NHK菖蒲久喜ラジオ放送所の前身であるNHK川口放送所には、かつて高さ312mの放送鉄塔が2基もあったことや、跡地の一部にまだ放送鉄塔の基部だけが遺されていること、跡地の主要部分はスキップシティになっていること、などを。

「え? あのスキップシティ!?」と驚きました。筆者はもう15~16年ほど前、スキップシティができてすぐの頃に一度、写真を撮りに行ったことがありました。それはある雑誌にスキップシティのリポート記事を掲載するための訪問でしたが、施設の概要を機械的に紹介しただけで、その「前史」にはまったく触れませんでした。

 というか、前史があるということにすら、気が付こうとはしなかったのでした。いまもたいして変わりませんが、当時はさらに未熟で目配りの利かないリポーターだったというしかありません(笑)。

 なにはともあれ、自分は不勉強で知らなかったけど、ネットでこんなに多くの人たちが熱く語っている、NHK菖蒲久喜ラジオ放送所の前身、旧《NHK川口放送所》に、俄然、興味が湧きました。

 ネットに展開されている先人たちの生き生きとしたリポートや公的情報などを総合すると、NHK菖蒲久喜ラジオ放送所ができるまでの前史、すなわちNHK川口放送所の来歴はおよそ次のようなものでした。

スキップシティA街区には老若男女が楽しめる公共施設群が入居している
現在まったくの空き地になっているスキップシティB街区

 NHK川口放送所が建設されたのは1937(昭和12)年で、撤去・解体されたのは1984(昭和59)年です。

 1924(大正13)年に東京放送局(JOAK)が設立され、翌年3月22日にラジオの本放送が開始されました。これが日本最初の放送(ラジオ)で、JOAKに続き、大阪放送局(JOBK)、名古屋放送局(JOCK)も設立されます。

 しかし、この3放送局は1926(大正15)年8月に日本放送協会に一本化され、1928(昭和3)年11月からまず全国中継(第1放送)を始め、1931(昭和6)年4月からは、全国主要都市に設置した都市放送局による独自のラジオ放送(第2放送)を開始します。

 川口と鳩ケ谷にはJOAK時代から第1放送および第2放送を送信するための放送設備が設置されていましたが、国防の観点からの措置など、さまざまな理由により、1936年に第1放送と第2放送の周波数を当初のものから変更することになりました。

 その事業の過程で1939(昭和14)年5月には、スタジオ設備をそれまでの内幸町から愛宕山に移転(東京放送会館)。愛宕山から川口放送所・鳩ケ谷放送所を介して、放送用の電波を送信する体制を構築しました。

 それに付随して、川口放送所には310mの放送用鉄塔が2基(1937年竣工)、鳩ケ谷放送所にも206m強の放送用鉄塔2基(1939年竣工)が、それぞれ建設されたのです。[※以上の川口放送所・鳩ケ谷放送所の来歴については『日本放送協會』というタイトルのサイトを、かなり参考にさせていただきました]

 時代は移り変わり、第2次大戦をへて、1953(昭和28)年にはテレビ本放送が始まります。放送の主役はラジオ&テレビの並立時代に入りました。さらに本格的なテレビ・ラジオ放送時代を見据え、高さ333mの東京タワーが1958(昭和33)年に竣工したことで、NHK川口放送所は日本一の高さを誇ったラジオ放送鉄塔としての主役の座も降りることになります(解体される少し前の1981年までは稼働し、1982年に菖蒲久喜ラジオ放送所に機能を移転)。

 この「鉄塔の高さ日本一」の座の交代劇は、同時に「ラジオ全盛時代からテレビ全盛時代」への歴史の変わり目を意味する、象徴的な出来事でもあったといえるでしょう。

 ここでNHK川口放送所と鳩ケ谷放送所にまつわる歴史エピソードを一つ、ご紹介します。

 歴史に詳しい方は先刻承知でしょうが、終戦直後の1945年8月24日、鳩ケ谷放送所の「占拠事件」が起きます。終戦の年となった1945年には、他にも幾つか、戦争の終了に納得できない軍人たちなどによる「蜂起事件」が起きましたが、鳩ケ谷放送所の占拠事件は、それらのうち最も有名な事件の一つです。

 終戦に納得できない一部の陸軍兵士たちが、自分たちの主張を国民に呼びかける(放送する)ため、鳩ケ谷放送所を占拠したのです。しかし、NHKが鳩ケ谷放送所からの送信を止めたため、兵士たちは第一放送所である川口放送所に移動。兵士たちはそこで憲兵隊に検挙され、事件は終了します。

 この事件は図らずも、当時のNHK川口放送所・鳩ケ谷放送所が担っていたラジオ放送拠点としての重要性を物語っているといえます。そこを押さえれば、国民に自分たちの主張を知ってもらえると、その兵士たちは考えたのです。

 そのように多様な歴史も秘めつつ、しかし前述のように、NHK川口放送所並びに鳩ケ谷放送所は、東京タワーが竣工した1958年以降は脇役に回り、川口放送所は1984(昭和59)年に、鳩ケ谷放送所は1年前の1983(昭和58)年に、それぞれ解体されるに至ります。

フェンスに囲まれたスキップシティC街区
C街区は市民のためのスポーツ公園として貸し出されている

 NHK川口放送所跡地として15ヘクタール(15万㎡)もの広大な敷地面積をもつスキップシティは、A・B・C・Dの4街区に分かれています。このうちA街区(約5ヘクタール=約5万㎡)には前出のNHKアーカイブスや川口市立科学館などの施設が入っており、D街区(約2.8ヘクタール=約2万8000㎡)には、衛星放送の管制を行うB-SAT(放送衛星システム・衛星管制センター)の設備が立地しています。そしてこのA街区およびD街区の間にあるB街区(3.3ヘクタール=約3万3000㎡)とC街区(約2.4ヘクタール=約2万4000㎡)は空き地のままになっています。

 このうちB街区はまったくの空き地で、筆者が訪れた日には観光バスの臨時駐車場になっていました。

 NHK川口放送所のメイン施設、高さ312mのラジオ放送鉄塔の基部が遺されているのはC街区です。写真にあるようにC街区は今、近隣の市民の利用を想定した、地域のスポーツ広場として使用されています。筆者が訪れた日は高齢者のグループが、グラウンドゴルフをしていました。

 しかし、B街区もC街区もいずれ新たな開発計画が進められることになっており、C街区に遺されたNHK川口放送所時代の放送鉄塔の基部が、今後どのような命運をたどるのかは予断を許しません。

旧川口放送所・放送鉄塔基部の周囲では白熱のグラウンドゴルフが展開中でした!!
堂々たる放送鉄塔の基部。取り壊されないことを祈りたい

 以上、さらっと書いてはいますが、C街区に放送鉄塔の基部を発見するまでには、けっこう時間がかかってしまいました。ネットで検索するとゴロゴロ写真が出てくるので、旧知のスキップシティに行きさえすれば簡単に見つかるとおもっていたのです。

 しかし、NHK川口放送所の跡地がA・B・C・D街区に分かれていることさえ知らないまま出かけてしまったため、当初はスキップシティの中(A街区)だけをぐるぐる回り、「ないなぁ、ないなぁ」とボヤキまくっていました(笑)。

 ネットで読んだ記事の多くは、7~8年以上前に書かれたもので、その段階でも「再開発計画が進めば、残された鉄塔の基部はいつ撤去されるかもしれない」と憂慮されていました。

 だから、ひょっとするともう撤去されてしまったのかとおもいつつ、NHKアーカイブスの受付に行って、旧川口放送所時代の放送鉄塔の基部のありかを聞きました。ところが、みなさん、その存在すら知らないといいます。スキップシティができる以前のこの土地に、NHK川口放送所があったことさえも知らないようでした。

 しかし、親切な受付の女性が電話でどちらかに聞いてくれて、アーカイブスに遺されている資料に「NHK川口放送所について書かれた部分がある」という情報を教えてくれました。でも、放送鉄塔の基部の残存物がどこにあるのかについては、やはり「わからない」といいます。

 仕方ないので表に出て、今度はスキップシティの周辺を回ることにしました。そしてフェンスに囲まれ、バスの臨時駐車場になっている広場の横を、そこがB街区とも知らずに通り過ぎると、もう一つ先のブロックに、やはりフェンスに囲まれた空き地があることに気づきました。

 そのフェンスの左側前方には巨大なアンテナが幾つも並んでいます。それはB-SATのあるD街区だったわけですが、それも知らないまま「あんな巨大なアンテナがあるということは、あのへんに川口放送所の放送鉄塔の跡もあるのかもしれないな」と勝手に想像し、進んでいきました。そして、高齢者がグラウンドゴルフに興じている様子をチラ見するうちに、「ハッ!」としました。

 お年寄りたちが荷物を置いている台が、なんと探し求めていた、NHK川口放送所の放送鉄塔の基部だったのです!!

C街区の裏側には今にもロボット兵の園丁が登場しそうな風景が
猫はどんな風景にもマッチする(笑)

 フェンスの破れ目にレンズを突っ込み、C街区の周囲をぐるりと回りながら、夢中になって撮影したのが、前出の一連の写真たちです。かつて日本一の高さを誇ったラジオ放送用の鉄塔の基部は、まるで海辺の古い防潮堤のような塩梅に、あるいは『天空の城ラピュタ』の庭園に遺され、ロボット兵の園丁に守られていた遺跡のような塩梅に、ひっそり眠っていました。

 その周囲でグラウンドゴルフに興じるお年寄りたちの声も、敷地が広すぎるせいかほとんど聞こえません。空ではヒバリがしきりにさえずっていました。

「ああ、こういう場所にいつまでも遺っているのなら、いいなぁ」とおもいました。望遠ズームで覗くと、木陰になった基部の端っこで猫が一匹、昼寝をしています。

 将来ここにどのような建物が建てられるにしても、ラピュタの庭園のように守られることを祈りつつ、その場を後にしました。

B-SATの巨大アンテナ群がみられるスキップシティD街区