電柱

GO! GO! エレクトリシャン 小トリップ・シリーズ /番外編・No.4

旅先で思いがけず《電柱の揺り籠》に遭遇するの巻

東北電力の関連会社・東北ポールを知ってますか?

~福島県白河市・新白河駅そば~

            取材・構成/「週刊電業特報」編集部(砂耳タカシ)

 無電柱化とか電線地中化というようなフレーズを目にするたびに、ひそかに胸を痛めていました。

 電線を地中化し、地上から電柱をなくすことに対する数々のメリットは重々承知のうえで、それにしても、無電柱化……だなんて、そんなに電柱を悪者にするような、つれない表現をしなくてもいいのでは?

 そんなふうに、かねがね、おもっていたのです。

 昨年に何回か襲来した大型台風の折には、強風や洪水などの影響で、全国各地で電柱がなぎ倒されました。

 倒れた電柱は民家を破壊します。みずからに繋がっていた電線をぶち切って、大停電の原因にもなります。長い図体をでれんと横たえ、心ならずも道路を封鎖してしまったりもします。ここ数年はとくに、迷惑のかけっぱなしでした。

 でも、東日本大震災のときのことを思い出してください。長く続いた停電の果てに、被災地に新たに立てられたひょろ長い電柱の先端近くで、久しぶりにあかりが灯ったときの人々の拍手と歓声! 被災地の人々はもとより、遠く離れた地でニュース映像のそんな光景をみて、胸を熱くした人も少なくないのではないでしょうか。

 恐らく戦後初めて焦土に電柱が立ったときも、未開発の地域に電柱が立ったときも、近代以降に日本列島を無数に襲ってきた自然災害の後の復旧作業の第一歩のシンボルとしても、電柱は日本人に「ささやかだけど小さくない感動」を与え続けてくれました。

 ところどころ時代遅れの要素をもった存在かもしれません。でも、いまもって現役で、日本の電化生活を支えています。

 いずれは消える運命なのでしょう。それだけに余計、これまでの電柱の貢献をおもえば、無下な扱いはしたくないものです。

 と、そんなことをおもっていた矢先、たまたま訪れた福島県白河市の片隅を歩いていて、出遭ってしまったのです。

「電柱の揺り籠」ともいうべき、コンクリート製電柱の巨大工場に!!

 以下はそのプチ《遭遇記》です。

きれいに積み上げられたコンクリート製ポール。現代美術の作品みたいだ

 その工場に遭遇したとき「あ、電柱というのは工場で作られているんだ!?」という当たり前のことに、改めて気づきました。

 ひごろ電気設備工事に関連する取材などをしていて、電線地中化あるいは無電柱化などについての記事を何度か書いたりもしてきました。冒頭に記したように、さらに電柱への「同情心」ももっていたつもりなのに……。

 電柱がどこでどう作られているのかについては、迂闊にも、ほとんど考えたことがなかったのです。

 遭遇場所は東北新幹線・新白河駅のすぐそばです。東日本大震災から丸9年となった2020年3月11日に白河市を訪れ、取材のため2泊した後の帰り道のことでした。

 各停しか停まらない新白河駅の新幹線の発着は、平均して1時間に1本程度です。在来線で新白河駅に到着したとき、次の新幹線の発車まで45分以上もありました。

 ならばとばかり外に出て、ぶらぶら歩き始めました。

 すると駅を出てすぐ右側に、なにやら大きな工場風の建物がみえてきました。カメラ片手にそちら方面に向かいます。

 快晴の空からは、早春にしては強い日差しが放射されていて、早くも汗ばんできました。そうこうするうちにもう、工場の入口は目の前。

 そして門柱には《東北ポール(株)白河工場》の表札。その横には大きな看板が立てられており、「安全で明るく/元気のでる/工場です」の文言が。

 ポールというのは何か棒のようなものだろうか――。

 そんなことを漠然とおもいつつ、歩を工場の塀に沿って進めると、由緒ありげな神社を挟んでフェンスに囲まれた、東北ポールの広大な資材置き場の前に出ました。

 そこにあるのは、な、なんと電柱とおぼしきコンクリート製のポール!!

 照りつける陽光を反射し、鈍く輝く、大量の電柱っぽいポールが積み上げられていたのです!!

敷地はとにかく広大で路上からもよくみえる

 金網のフェンスなので敷地の内部は外から丸見えです。そこで慌てて写真を撮りまくったのですが、よくみると、電柱とおもわれる太さのポールばかりでなく、さまざまな太さ、長さのポールが広大な敷地のそこここに積み上げられています。電柱をはじめ、きっと多様な建設用途などに使われるのでしょう。

 なににせよ、昭和生まれの電柱好きには、もう、めくるめくような風景です。

積み上げられたポールは工場の敷地内で仕分けされ、クレーンで運ばれる

 実際、後にネットで調べてみると、東北ポールは東北電力のグループ会社で、電柱用コンクリート製ポールのほか、建設資材などで使うさまざまなタイプのコンクリート製ポールを作っている古い会社なのだそうです。

 なんでもこうしたコンクリート製ポールを作っている会社は東北には2社だけなのだとか。全国にはどれぐらいの数の会社があるのでしょう。ネットでざっとみただけでも、日本各地にコンクリート製ポールの製造会社らしき社名が散見されます。

 これらの会社はかつて木製の電柱も作っていたのでしょうか? それを調べるのはこれからの課題として、ともあれ、そのようにたくさんあるコンクリート製ポールの製造会社は、無電柱化が進めばかなりの売り上げ減にみまわれるのかもしれません。

 あるいはコンクリートを使ったさまざまな二次製品がありますので、電柱の需要が減っても、なんとかなるのでしょうか。電柱贔屓(ひいき)としては、ちょっと気になります。大きなお世話でしょうけど。

クレーンもクレーン車もみな巨大
ちょうどクレーンでポールを運ぶ作業がはじまった

 と、このあたりで、次の新幹線の入線時間がやってきました。後ろ髪を引かれますが、もう駅に戻らなければなりません。

 できることなら次回は、型枠のなかに流し込んだコンクリートを毎分500回転の超高速度で5分間回し続けたのち、比較的低温の窯で焼いて(温めて)型から抜くというコンクリートポール(電柱)の製造過程を、東北ポールさんにお願いし、ぜひとも見学させていただきたいとおもっています。

 その折にはこのブログサイトに詳細な記事を書かせていただきます。請うご期待!

できることなら電柱の歴史も調べてみたいとおもいます

                  (取材・写真・文/未知草ニハチロー)